こんにちは。
第23回歴史教室は、「鎌倉時代の文化」のお話でした。
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「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我れとあるのみと云う態度だ。天晴れだ」と云って賞め出した。
自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」と云った。
省略ーーーー
「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
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夏目漱石 夢十夜六章。より・
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今回は、鎌倉時代の天才仏師「運慶」を中心に鎌倉時代に生まれた美術を勉強しました。
下記は、円成寺大日如来像(運慶の作品)
次は平安時代後期の定朝の作品です。真作平等院阿弥陀如来(定朝)
運慶の方がが鎌倉時代の武士社会になって体がたくましくなってきているような。。(爆)
あとは手の組み方の違いですね。
最初の「全部まるっとお見通しだよー」と
次の「瞑想していますよ――っ」と手を組んでいる意味のようですね。
またおもしろいのが、↓の絵を見てお分かりのように、忍者ごっこしていたときの手の組み方が、「全部お見通しだよ」という意味の組み方ににています!!
菩薩と如来の違いもこの日初めて知りました。(汗)
菩薩は、「まだ修行中ですわ。」
如来は「もう悟りを開いています。」
という意味だそうです。。へえええー知らなかった。
仏様のハンドサイン(クリックして読んでみてください。)
さて、、
定朝は、それまでの主流の作り方、一本の木から作る「一本造」から、寄木造という、頭体の主要部を二つ以上の材から組み立てる技法を確立させた人です。
運慶は、冒頭の動画で運慶は載せた夏目漱石の小説「夢十夜」の六話に出てくるお話師の中心人物で、仏師と言えば「運慶」と言われる人。
仏像マニアのみうらじゅんさんも「運慶学園」を開いて語っています。
次に、絵巻にいきましょう!!!
源氏物語絵巻(東屋)徳川美術館蔵
平治物語絵巻(三条殿夜討の巻)ボストン美術館蔵
違いがわかりますか??
まず、色がちがいます。
そして題材も違いますね。
平安時代の方は戦もなかったことで、のんびりとした絵柄で、
鎌倉時代の方は戦を題材にした武士の絵が多いようです。
また、目も違いますね。
平安時代の絵は、ただ線を入れているだけですが、
鎌倉時代の方はもうちょっと表情のある目や口になっています。
鳥獣人物戯画 高山寺蔵(甲巻、兎と蛙の相撲の場面)
鳥獣戯画については、、こちらのブログでも書いたのですが、小学校6年生の光村図書の教科書にもなっています。また写真をのせますよ。埼玉県の川越を歩いていて見つけました。。
やはり、、世界最古の「漫画」と言われるだけありますね。
そして、鎌倉時代の文学
漢字かな交じり文が完成したおかげで、文学も絶好調にいろいろなものが出てきました。
斎藤先生のお話によれば、
「話し言葉と、書き言葉が残ったことで、国語でよみかきができるようになり、大和言葉が守られて、日本文化の独立ができたのでしょう」
とのことです。
なるほど。
そういえば、、そうですよね。。
この間、ドイツ人の日本語を勉強している生徒さんとお話をしていた時に、
同じ言葉でも「漢字で判断するのが面白い」という話になったのですが、、
でも、
「漢字だけでなくても、日本語には「大和言葉」という日本古来の言葉があり、それにすでに、意味があって、大和言葉に漢字を当てはめたものもあって、漢字に大和言葉を当てはめたものだけではない。」
という話をしたんですよ。
それでですね、、(うんちく始まるの巻)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここからは、
「さようなら」
という意味。。どういう意味か知っていますか??
私たちのあいさつ。
「こんにちは、お元気ですか?」
「はい、元気です。」
「左様(さよう)なら(ば)、御機嫌よう」
「今日は」の「今日」とは昔は太陽のことを言ったんだそうです。
それで、いいかえれば、
「太陽の(元のエネルギー)はどう?」
「太陽のエネルギーと一緒にいますよ!!」
「それならば、気分がいいねーー」
という意味だそうです。
すごくありませんか??
もう題名どおり、「日本の心の教育」されましたわ。
まだ読んでいない方はおすすめです。 😀
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うんちく終わり 😀
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さてさて、話は戻りまして、
ご存じ「平家物語」
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
つれづれなるままに、日暮らし、硯(すずり)に向かひて、
心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ。
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なんだか、、
悟っちゃったような文ばかりですね。(まあ、たまたまなのかもしれませんが、、)
でも、、そうでもなかったのかも。。なぜなら、、
次に斎藤先生が出してくれた問題を読んでください。
比叡山で学んだ僧侶の中に、貴族だけが浄土にいける。それでいいの?
と考えるものが出てきました。
難しい経典の研究や修行をすることができない武士や
庶民を救うには、
どうすればいいと考えたでしょうか?
どうしたと思いますか??
誰にでもできる簡単な修行を
とことんやればいいんじゃね?
そうなんです。。
いままで、修行者や、僧侶、特別な人だけが悟りを開き、極楽に行けるとかんがえられていて、
「ちょっとーーそこまでしなくても、悟れないの?普通にまじめに生きている人が極楽にいけないのかいな??
そんなのおかしいいんじゃないの??わたしら、働かなきゃ生きていけないし、お寺に修行しにいっていたら家族のものも養えないし、でも、それじゃ悟れないっておかしいんちゃうの??」
と考えたかどうか知りませんが、
「普通に生きていても、悟れ、極楽にいける方法はないか??」
そこで出てきたのが、、
皆さん、ご存じの。。浄土宗と、日蓮宗だったんですねーー。
浄土宗 法然
日蓮
こうして、だれでも念仏を唱えて、正直にキチンと生活していれば悟りが開かれ極楽浄土にいけるという教えが広まったことは素晴らしいと思います。
キリスト教も、「正直に生きていれば天国にいける」というのは同じですが、
この日本型仏教は、「悟りも開けてしまう」んですよ。
ということは仕事にも精が出ますよね。
「今やらなければいけない自分の大切なお仕事」を一生懸命やることが「修行」すなわち、悟りへの道が開かれていると考えたところに、今日の日本人の在り方や考え方が表れているような気がします。
まとめ
鎌倉時代のことは、源頼朝と北条氏、元寇、、くらいしか知りませんでしたが、
結構、いろいろと奥が深い時代だったのですね。
最初に書いた、運慶や定朝も、親の時代から仏師だったんですよ。そして、源平の戦いで焼け落ちた東大寺の復興プロジェクトに源頼朝が運慶一門を起用したことから、源頼朝および、幕府との関係が深まったそうです。
大和言葉がのこったのも、仮名文字が確立されたからであり、それにより、文学が広く読まれるようになり、庶民が悟りを開けるようになるような宗教がうまれたからこそ、何事も一生懸命にやることが大事という価値感が国民全体に生まれたのではないかなーと思いました。
「天晴れ(あっぱれ)!!」 😀
これで第23回歴史教室の報告を終わります!!
今日も最後まで読んでくださりどうもありがとうございます!!
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