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足利義政と室町文化について

Japan

こんにちは

最後の歴史教室の授業報告から、(2017年8月7日「足利義満と勘合貿易」から、あっというまに時間が経ち、歴史授業70時間(+4時間)計74時間終わってしまいました。

今は2020年、3年前の授業ですが、今から聞いても面白い授業なので、このまま授業報告を書き続けようと思います。

 

では、、「足利義満と室町文化」についての授業報告をしたいと思います。

住むなら、どっち??

この日の授業はですね、

最初に金閣寺と銀閣寺の写真をみせてもらったのですが、

いきなり上記の先生の質問から始まりました。

みなさんは、どちらに住みたいですか?

歴史教室の生徒さんは、

「全員」

「銀閣寺」でした。

しぶいですねー。

8歳の女の子も「銀閣寺」でしたよ。 😀 

みなさまの理由をあげていきますと、

1.バランスが悪い。(金閣寺)

2.悪趣味(金閣寺)

3.暴れると、金がはがれると文句言われそう。(金閣寺に住むと)

4.安心して寝れない(金箔を盗みに来るひとがいそうだから)

5.はですぎ(金閣寺)

6.銀閣寺の方が渋くておちつく

とまあ、こんな感じでした。

LEARN JAPANで学んでいる子供たちは、渋いんですね。 😀 

さて、、金閣寺は、前回で学んだ足利義満

が建てたものですね・

金閣寺は、京都の北山にあるので、

足利義満が育てた文化を、

 

「北山文化」といいます。

 

そして、前回にも書きましたが、足利義満が世阿弥を保護し「能や狂言」を育てたといってもよく、世阿弥が残した能(幽玄能)は、日本の演劇の始まりなんですねえー。

 

そんな世阿弥の言葉(「花伝書」から)

 

「初心忘れるべからず」はとても有名ですね。

 

 

 

能や狂言のお話は、海外在住の人たちが使う光村図書の国語の教科書に

「柿山伏」の狂言のお話がのっています。

 

↓の動画は「野村萬作」さんの狂言(柿山伏じゃないよ)

かっこよすぎる

 

きゃああー

 

今日の主役!足利義政

さて、足利義政なのですが、彼が第8代将軍になったのは彼がたった13歳の時でした。この人は第6代将軍の次男だったのに、お兄さんの7代将軍が10歳で亡くなってしまったので、将軍になったのでした。

こんな小さいうちに将軍になったので、色々と守護大名が政治に介入してゴタゴタしていたのは想像つきますが、

子供がいなかった、義政の後継者に弟の義視(よしみ)に将軍を譲ることに決まっていたのにもかかわらず、なんと!奥様の悪女として名高い「日野富子」に子供ができ、世継ぎができたのです。

自分の息子を「将軍に」という義政の奥様日野富子派と、後継者に決まっていた弟義視派の対立から、
もともと守護大名の権力争いをしていた、ゴタゴタから、細川勝元派(東軍)と山名持豊派(西軍)に分かれ、応仁の乱が始まり、それは11年も続き、京都は焼け野原になりました。

余談ですが、

西陣織と呼ばれるようになったのは、

応仁の乱が終わった後に、山内持豊の西軍が構えていたあたりに、職人達が集まり、織物業を始めたのが所以です。

義政は、こんな国難で大変な時でも、

まさか将軍の自分は殺されやしない。。

と戦いが終わるまで、政治には無関心でひっそりしていたそうです。
そして、戦いが終わり、結局は自分の息子の「義尚」が10歳で将軍になったのにも関わらず、幼い自分の息子をサポートすることもせず、やる気なしで、家出をしてしまったこともあるそうです。

将軍としてはちょっと頼りないっぽいですね。。

 

政治は人任せでも、日本の文化にとっては大恩人の義政

そんな義政ですが、

 

この義政の時代に今の日本文化の源流と言われる「わび、さび」文化が生まれたのです。

どんなものがあったのでしょうか?

 

1和室の始まり

(書院造り、畳、床の間、障子、襖)

つまり、今の私たちの家の原型ですよね。まあ、最近はまた、畳や障子、襖などなくなってきて広々とした、床の家が多くなってきましたが。。

畳といえば、日本!!と思い浮かべますが、これは義政が発明?したんですねー。

しかも、障子を開けるとまるで(障子が額縁のように)絵を見るように綺麗な風景(庭)が見えるようなデザインを考えたのも義政!

季節によって変わる景色を観れるようにするという工夫がすごいじゃないですか!

斎藤先生曰く、

「畳の上で、ゴロゴロしながら、こーやったら綺麗だなーなんて考えていたのかも」

今まで広々として一つの大広間みたいだったのを、襖で仕切るという風に考えたのもすごいですよね。

 

2。茶の湯と立花

そうです!茶道と華道です。

当時は女性がお茶を入れるというより、男性がお茶を入れて遊んでいた 😀 のです。

お茶は千利休が芸術まで高めたのですが、その源流を作ったのは義政ですね。

畳の和室がなかったらできなかったですしね。

 

お花も、お花をこうやったら綺麗に飾れるというマニュアル本を作ったのも義政だそうです。。すごい!マニアですねー。 😀 

 

3。墨絵

これは中国のものですが、雪舟の墨絵が有名で、雪舟のお話では「涙で描いたネズミ」のお話が有名ですね。

(禅坊として修行を積まなければいけない雪舟が絵ばかり描いていたので、住職が怒って雪舟を本堂の柱に縛り付けてお仕置きをしました。そのよる見回りに行ってみると、ネズミが走り回っていてびっくりし他のですが、よーくみるとそれは雪舟が涙の水たまりで描いた絵のネズミだったのです。そこで住職は雪舟の絵の才能を認めてそれからは禅僧になるのではなく絵描きになるように中国まで修行に行ったとさ。。というお話。)

4。御伽草紙もこの頃です!

一寸法師、浦島太郎、桃太郎、舌切り雀、ものぐさ太郎

一休さんに出てくる殿様は足利義満ということになっているようですよ。ただし、、これは本当かわかりません。

(虎屏風などのトンチ合戦をした人。。)

御伽は、おとぎ話の御伽。

草紙というのは、ヒモで閉じた本です。

日本の本には2種類あって、一つは巻物で、もう一つが

草紙というヒモで閉じた本だったのですね。

 

5。どんな小さな村にある神社、盆踊りなどもこの時代に始まったそうです。

 

そして、この義政が育てた文化を

「東山文化」と言います。

そして、これは今の日本の文化と言われているものの原点になっているのですね。

 

日本には色々な有名武将や、有名な偉人がいますが、

 

足利義政が、今の日本の文化の原点を作ったとはびっくりです。

これで、なぜあまりぱっとしない 🙄 

足利義政が、「歴史上の人物42人」に入っているのかがわかりました。

この後の戦国時代が、あまりにも強烈なキャラクターの武将がたくさんいるので、冴えない感じの義政ですが、

室町時代の足利義政の偉業にもっとスポットライトを当ててもいいですよねー。

 

 

斎藤先生からの質問です!この下のお膳の上には室町時代に始まったものではないものが2つあります。何でしょう??

上の画像「新しい歴史の教科書ー教師用指導書」自由社

みなさん、、わかりましたかーー??

考えてみてくださいね。

 

答えは次回第27回授業の

「戦国時代の日本」

の授業報告ブログに書きますーー 😀 

 

 

斎藤先生からの最後の質問

さて、、

先生からのもう一つの質問なのですが、

「室町時代の文化は、それまでの日本の文化とは違ってきたことがあります。

それはなんでしょう?」

 

 

なんだと思いますか?

 

チック、タック、

チック、タック、、

 

実は、

「仏教の影響がなくなってきた。」

 

のです。

 

そういえば、、そうですね。

 

天平文化、平安時代の文化。。

 

やはり、それまでは仏像やお寺、仏教の影響がとても濃い建物や風習、芸術でした。

 

それが、室町時代になったら、パアーーと突き抜けたみたいに自然の美を中心とした和文化に変わっていくのです。

 

どうですか?

すごくありませんか。

斎藤先生に、このお話を聞いたときに、私はものすごく感動しました。

ああ〜なんで気がつかなかったのだろう!

 

そして、この時期はちょうどヨーロッパでも、ルネサンスの前期ということも興味深いです。

 

ヨーロッパには、メディチ家という大パトロンがいましたし、日本の場合は、政治の面では無能だったかもしれませんが、芸術に大金を使える身分の将軍が日本の文化を高めたのです。

メディチ家が、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロのパトロンになって支援したように、義政も、京都の東山に別荘を建てて、当時の文化人を読んで育てたのですね。

やはり、こういった芸術や独自の文化が花開くには、まとまった大きなお金がないと難しいですし、そういったことに理解のある人がこの時代に日本にいた!と考えるだけでも、私はウキウキしてきます。

 

まとめ

これで、第26回「足利義政と室町時代」の授業報告を終わります。

 

足利義政が趣味の世界に生きて、「わび、さび」の世界観の美しさを大切にしてくれたおかげで、後世の私たちはとても恩恵を受けているのだけど、

当時の人々にとっては迷惑気まわりない将軍だったのかもしれないです。

 

でも逆に、

「なにやってるんだ?この人。。」

 

と今は思っていても、

 

時間が経ってみれば、

国や人々にとって役立つことをしている

ということもあるのではないかなーと思うようになり、

 

効率がいい、悪いで判断されがちな世の中ですが、

 

大切なものや、大事なものは、目に見えなくて、何百年も経たないと良さがわからないことがあるのだ。。と、足利義政と室町時代のお話で思いました。

 

こんなことを感じさせてくれる、斎藤先生の授業は本当にすごいなーと思います。

 

それでは!最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。

今度は、

「第27回戦国時代の日本」です。

お楽しみにー

 

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