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自己紹介とLearn Japanへの思い

はじめまして、Learn Japan 代表のホール典子です

私は、日本語教師をしながら、日本語や日本の文化や歴史を届ける
オンライン教室Learn Japanを開き、ウェブ
運営とセミナー開催の
オーガナイザーをしています。

海外に住んでいるお子様に、日本語だけでなく、日本の文化や習慣、
歴史を学び、住んでいる国の文化と融合して真の国際人になってほしいという思いで、このオンライン教室を始めました。

-インタビュー記事掲載サイト-
Re・rise News」でインタビューしていただきました

イギリスで結婚をし、イギリスのウェールズという自然のたくさんある場所にイングランドから引っ越してきたのは、もう22年前になります。

当時はSNSもなく、家の改造をしては売って別の場所に引っ越しをしていたので子供を育てながらの友だちつくりは、なかなかむずかしく、田舎だったので日本人に会うということもないまま最初の7年間を過ごしてしまいました。

その時に、小さい子供がいて家をあまりでることができなくても、
「もう少し日本語と関われる方法があればいいのにな――」とずうっと思っていたのです。

当時は、7歳以下4人の子供を育てていたので、ほいっと家を一人ででて息抜きすることもなかったですし、日本語についての相談なんて誰にも聞けませんでした。

大学在学中に、歴史の先生として教育実習まで行ったのにもかかわらず、教員の資格を取らずに大学を卒業したのが何となく頭の中に残っていて、子供たちが少し大きくなった時に、「日本語教師」の資格を取り、日本語と国語を外国人や「海外に住んでいる日本人のお子様」たちに教えはじめました。その時に、「これだーーー」と思ったのです。
「インターネットを通じて、世界中の生徒さんと家の中からつながれる!」と。。私が4人子供いたので、なにをやるにも×4で、補習校に行かせるということも経済的に無理でしたので、なんとか、もっと気軽に日本語レッスンを受ける仕組みがあって、日本語を話す習慣ができないかなーーと常日頃から思っていたからでした。
そう、、
”習慣作り”「日本語の勉強」というよりも、同じようなバックグラウンドを持った子供たちが毎週決まった時間に仲間に会う場所が作れたらいいなと思ったのです。
ただでさえ、現地校のお勉強で忙しいのに、現生活で暮らしていくことに必要のないことを親の言語だということで勉強しなくてはいけないのは子供にとってとても負担だし、だいたい、「なぜ普段使わない日本語を勉強しなくてはいけないの?」という思いをなくすには、
”使う場所”
を作ればいいのではないか??と考えたのです。

また、、人間って、だれでもどこに住んでいてもアイデンティテイ―の確立で悩むことがあると思うのですが、同じようなバックグラウンドを持つ子供たちと一緒に、親、日本にいる親せきや祖父母の話す言葉や文化を遊びながら学べる機会があったら、
アイデンティテイ―の確立にも役に立つ!
と思ったのです。

こういったことは、親が頑張ってできることでもありますが、親が必死で子供に話すと逆効果になることもありますよね(まあ私のことですが(爆))海外在住で、日本人が多く住んでいる場所や、人種のるつぼのようなところでは、自己認識することもすんなりとできるのかもしれませんが、うちのように、ウェールズ人の方が圧倒的に多い場所では,
いったん自己否定(半分日本人ということ)をして、
ゆらゆらしながら「半分日本人」ということを意識、認めていく

ような気がします。うちの子供たちはそうでした。上から順にそういった傾向が強かったですね。
特に長男は、たぶん、学校でも、初めての非ウェールズ人だったのではないかと思います(爆)
だからこそ、彼は、ウェールズ人になろうとしたし、(たぶん)日本的なことは無視した時期がありました。

親ができること

子供が小学生の3,4年くらいの時です。
自分達だけでなく、周りの子供たちも「あ、ウェールズ人じゃないんだ」
(実際はうちの子供たちは、生まれも育ちもウェールズなのでウェールズ人ですが)気が付きだして、
ちょっとうちの子供たちの態度が変わったと思った時があったのです。
なんか、変に日本のことをいやがるとか、自信なさそうだったりして。。

その時に、
これだけは覚えておいてくださいね!!
といって、
トヨタもホンダも、任天堂も、ソニーのプレイステーションも、みんな日本製なんだよ。
日本ってすごいんだよ。日本人であることを誇りにしてください。
この地域で、他の人と同じじゃないからといって卑屈にならないでくださいね。
おかんが日本人であること、あなたたちに日本人の血が流れていることにたいして、
誇りをもって堂々としていいていいんだよ。

侍も、忍者も、柔道も、空手も、剣道も、セレブが食べているすしも、
ぜえーーーーーーーーんぶ日本からきたんだからね。

と、つぎからつぎへとマシンガンのように、いろいろと日本のお話をしました。
(本当に自慢できるものがたくさんあってよかったですよ――がははははは)

また、
あなたたちには、今はこの世界しか見えないかもしれないけれど、世界はとっても
大きくって、ここに住んであなたたちが見るものは本当にそのうちの小さな小さな、
ちいさーーーな一部分なの。
ここで、普通 とされているものは、ほかの世界では
正反対だったりするの。
ちっぽけな世界しか知らない人に、何を言われても気にしないでいいよ。
嫌なことを言う人は、鼻くそでも飛ばしておき!!(失礼)
と。あまりの母の勢いに子供たちはびっくりしていましたが、
(その時の私はたぶん日の丸の旗がパタパタ揺れていたでしょうね)

そのあと、子供たちの態度がちょこっと変わったのですが、本当に私のあの時の言葉を
実感したのは、しばらくあとに、日本に連れて行った時だと思います。
クリスマス時期の原宿に連れて行ったときに、あまりの大都会と人込みに、
子供たちは?を丸くしていたことを忘れません。。

昔の映画「クロコダイルダンディー」をそのままうちの子供たちに当てはめたようでした(爆)
なにせ、ウェールズの田舎で育ち、「日本?なにそれ。」という環境の中で育ってきたのですから。

日本から帰ってきてしばらくして、子供がお友達に
「日本ってすっげーーんだぜ」
といっているのを聞いた時には、「しめしめ」と思ったものです。 😀
百聞一見に如かずという言葉はよく言ったもので、私の実家に泊まっていたときには、
いつも神様にご飯をあげて、お水をもっていき、仏様にお線香をあげるのを日課にしていたこと、
また、小さいお地蔵さんがを見つけると私が両手を合わせていたので、
ある日わたしがなにもいわなくても、子供たちがお地蔵さんに両手を合わせていました。
なんだかうれしかったものです。

文化や習慣を肌で感じるとはこういうことじゃないかと思います。
こういうことって、うちの場合だったらウェールズに住んでいるときに
「お地蔵さんには挨拶するんだよ」といっても笑われるだけですからね。
そういえば、東京タワーの近くのお寺でお地蔵さんが色とりどりのきれいな帽子を
かぶっているのを見たときには、笑っていましたからね。
「誰が帽子を作ったの?」といって。💡

また、彼らの英国人のひいおじいさんが、ビルマで捕虜収容所に入っていたことから、
イギリス側の話はよく聞かされていたので、(学校でもテレビでもみれますし)
日本に行ったときは私が靖国神社に連れて行ったりして、日本側の話をしたり
本を読ませたりしました。

前置きが長くなりましたが…

親ができることって、子供に「自己肯定感」を持たせ、

親から「自立」できるようにすることかなーと思います。

自己肯定感を育てるというのは、なかなか難しいもので、

親からたくさんの愛をもらったからといって、育つものでもないのですね。

じゃあ、どうしたら自己肯定感が育つかというと、、

自分の父母、祖先の話(お父さん、お母さんがいない場合は、自分の祖先)

住んでいる国の歴史や文化などを学んだり聞いて、

自分が生まれてきたことが、ご先祖様や昔の人からの奇跡、

命のバトンのおかげだと知ることが積み重なって少しづつ、少しづつ育っていくのだと思います。

言葉そして文化の違い

外国人の生徒さんに、「読み方」という字を教えていた時に、
「「読み方」?????」
「「読み方」なんて言葉、、いつ使うの。」
といわれ、「HOW T O READ」ですよ。
といっても、
「いつ使うの?誰だって子供以外、読み方くらい知っているでしょ」
と言われたことがあります。。
はれ??と思って考えてから、ああああーそうなんだ。。と思いました。日本語には、日本人でさえ??という漢字がありますよね。
「この読み方どう読むの?」ときくことは不自然じゃないですが、
たとえば英語でbookは、bookだから成人している大人に「この読み方」どうよむの?なんて聞きませんよね。。
(まあ、突っ込んで言わせてもらえば、イギリス人も読めない変な駅の名前とか、ウェールズ語の名前とか同じイギリス人でもわからないので、「これなんて読むの?」ってイギリス人と話すこともありますけどね。その方は英語圏の人じゃなかったのでそうだったのかな?)まあ、これはほんの一例ですが、、(しかもあまりいい例じゃなかったかもしれません。 :roll:)
本当に小さいことが積もりに積もって、文化を形成するんだなーーって思ったのです。。
私が教えた海外に住んでいるお子様たちも、うちの子供たちも日本の1年生の国語の教科書を見て、
「4月といえば??何が浮かぶ??」
と聞いても、「ランドセル」なんて言葉は絶対に出てきません。
「新しい上履き」「新しい教科書のにおい」「ドキドキする気持ち」。。
こんな言葉は出てきませんね。

ヨーロッパ、アメリカだったら、
「イースター」「チョコレート」「イースターエッグ」そんなかんじでしょうかね。
アフリカや、アジアだったらまた別なことばがでてくるでしょうか。

日本で3月になると、何となく感傷的な音楽が流行ったりするのも、卒業式があるからで、
そういったものがない国の人にはあの卒業式の歌の感覚が肌感覚としてわからないでしょう。

また、イギリス人にとっての「サンデーデイナー」が、どれだけ大切なものであるか!
あの感覚も日本人にとってはわからないでしょう。(爆)

あと、、(ついでに)海外ホリデーとかに行けない人にとっての
「天気の日」はイギリス人にとっては(私か)
「休んでもいい日」のような特別な日になってしまう感覚もわからないでしょう。爆
↑これは大袈裟ですが、すぐに裸になって日光浴していますね。
怠け者とかそういうのではなく、(そういった場合もあるけれど)
天気の日が少ないので、その日を逃すともう次はないので、一生懸命になってしまうんですよ。

ということで、言葉の使い方や言葉の意味というものが、どれだけその国の文化や行事、季節によって違うというのがわかります。

国際人とは?そして日本とは?

Learn Japan のコンセプトは、
「日本の昔話や歴史を学ぶことによって、日本人としてのアイデンティティ―に自信と誇りを持ち、生まれ育った国の習慣や風習と融合させて、真の国際人になる。」
ということです。
小さいころから、自分の興味のあることにはとても欲張りで、興味のあることだけは何でもやってきました。バックパッカーで一人で旅をしているときは、日本とは違う習慣の国を見るのも、その国の人たちと触れ合うのもとても楽しく、自分が「日本人」ということはあまり気にしていませんでした。一つ気が付いたことと言ったら、「日本のパスポートを持っていると意外と便利なんだな。」ということでした。昭和42年生まれで、経済も安定してきて、のんびりした平和な時代(子供にとっては)に生まれ育った私は、日本の平和が普通すぎて、映画やテレビで見るアメリカの自由さやヨーロッパの古いものを大切にしながらアバンギャルドの雰囲気にあこがれていました。神社にいったりお寺に行くのは好きだったのですが、「日本」の成り立ちや、天皇陛下のお役目や、日本の神話や古事記といったことに全然興味を持っていませんでした。両親と一緒に皇室アルバムを見ていたからか、皇室に対しては深い尊敬を意味もなく持っていましたし、皇室がなくなればいい、、とはちっとも思いませんでしたが、学生の時、お友達に「天皇制っていらないよね」といわれた時に、??と思ったのにもかかわらず、
「何もしていないじゃん、税金の無駄だし、公平じゃないよ」と言われ、何も答えられなかったのです。
その時に初めて、自分にとっては皇室があることは普通で、何も考えずにそのままでいいと考えていたけど、そう思わない人もいるのだと知りました。そして、その友達の意見に反対を言えない自分のことを「おかしいな」とおもったのです。

そう思ったのも、一瞬で、ようやく「日本人」であることや、「日本」という国について考えるようになったのは、恥ずかしいですが、旅行ではなくイギリスに住み始めてからです。付き合う人や住んでいる場所にもよりますが、普通に歩いていれば、「白人じゃない人。どこから来たかわからないけど、黄色い人、もしかしたらこの国で生まれたのかもしれないけど、やっぱりちがうんだろうなーー」という人。
になり、ついでに書かせてもらえば、

「いくらで買ったの?」(わたしのこと)
とあからさまに主人に聞いてきた無知な方もいました。。。。。

まあ、田舎に住んでいると、日本でもこんな感じの経験を外国の方が経験しているかもしれないですね。。

だから、べつに自分だけが特別な経験とは今は思いませんが、最初のころは
「なんで、プレイステーションで遊んで、三菱やトヨタの車は知っているのに、そんなこと言うんだろう?」と、とても不思議でした。
ニュースでは、日本のクジラ漁の話が出て「なんで日本人はクジラを食べるんだ」といわれ、
クジラ漁のことにしても、天皇陛下についても、日本の文化に関しても、
しっかりと日本側の意見もいえないどころか、なんでかも知らない自分に情けなくなりました。「英語がへた」という以前に「自分の国のことを何も知らない自分」
というよくあるパターンですが、私も同じ理由で勉強し始めたんです。

それからは、いろいろな本を読み漁りました。父が読書家で勉強家だったことが幸いにして、電話して知らないことやわからないことは聞けばなんでも答えてくれたことも、ありがたかったです。

そして、、日本について、知れば知るほど「日本人でよかったー」と思うようになり、また不思議なことに、
「イギリスやウェールズの文化や歴史ももっと知りたい!!」
という気持ちが募り、日本だけがすごいとかそういうものではなく、

互いの国の良い面悪い面
今現在自分が住んでいる「自分のこどもの国の祖国になる」イギリスやウェールズも日本に対して持つものと同じような感情が生まれてきました。相乗効果というのでしょうか?「日本ってすごい」と思った一つの例をあげます。
野村進さんという方の本の「千年働いてきましたー老舗企業大国ニッポン」を読んでいた時のことです。
この本は、日本には、老舗で創業百年以上の会社が、大学や企業の研究者たちによる報告によれば、十万以上と推定されている。。という話から始まります。そして、日本人が昔から、職人さんが尊ばれ、富士大学の小山田了三氏の著書「世界を支える日本技術」という本を引き合いに、「日本では、鎌倉時代以降天下を握った武士たちが農民だったため、大名も含め身体を動かして働くことを当然のこととして考えていた」といい、
中小老舗企業の社長さんの商品開発のお話や、どうやって長く会社が続いてきたのかが書いてあります。これを読んで、何がすごいの??と思うのかもしれませんが…
「職人さんが尊ばれる」
「会社の社長も汗水流して働く」
「三方よしの精神、(買い手よし、売り手よし、世間よし)の徹底」
「長い伝統で培ってきた技術を、時代の流れに沿って、工夫して新しいものに変えていく精神」
「会社継続のためには、養子だろうが、婿養子だろうが関係なし。創業者の家族とは限らない」

これは、日本にすんでいる日本人からしてみたら、「あたりまえ」のことですが、世界的にみると「あたりまえ」ではない国の方が多いのです。

そして、一番なるほどーーーなと思ったところが、
「次の時代に受け継ぐ」
ということを中小企業の名前も知られていない会社が徹底して大切にしているところです。
これが日本のすごさだと思ったのです。

道元が「正法眼蔵」の行持の巻で書いた言葉。
「この行持の功徳、われを放任し、他を保任す。その宗旨は、わが行持、すなはち十方のそう地漫天、みなその功徳をかうむる。他もしらず、われもしらずといへども、しかあるなり。このゆえに諸仏諸祖の行持によりてわれらが行持によりてわれらが行持見成し、諸仏の大道通達するなり。われらが行持によりて、この道環の功徳あり。」

自分がみちを学ぼうと決めて、修行をして悟りをひらくことを行持というけれど、これは自分一人のことにとどまるわけではないのです。自分の行持によって、他人も、昔の人も、未来の人もみんな功徳をこうむるのです。他人も自分も知らなくても、行持の功徳ということはそういうことです。昔からの先祖の功徳によって今を生きる自分の行持が完成して、その余得をうけます。そして、今の自分の行動による行持によって、昔も今もすべての人がその功徳をこうむるのです。」

わたしは、これこそが、人生で大事なこと、生きるということなのだと思います。
そして、日本は、国の理念が何も言わなくてもそのような形で続いてきた国なのです。
こういったことを知っていることは、子育てをするうえで、とても大切なことだと思います。

子供たちに、キチンとご先祖様、もしくは名の知らぬ人から受けた恩や徳を心に受けとめて、生きることと、
「自分が今生きて、一生懸命やっていることは誰かのためになっている。」
ということを教えることができますよね。

これが、まさに【自己肯定感】につながるのです。

日本語教育なのですが、海外に住み、価値感も文化的背景も全然違うところで育っている子供たちに、日本の教科書を読ませても、「???」となって面白くなくなってしまうのは当然のことだと思います。
でも、面白いことに、上記のような日本の文化や成り立ち、考え方を話したりすると、子供たちは興味を示すんです。
だって、日本みたいに面白く多彩な文化を持っている国ってあまりないですもの。

今の時代、インターネットそして、移動用の乗りものの発達により、遠い国に住んでいる人ともすぐに会話ができたり、
ほかの国の様子を実際にに見たり聞いたりすることが昔よりは簡単にできます。
だから、ついつい、どこかの国で成功しているシステムが、どこの国にでも同じように通じると思ってしまいがちです。

でも、ほかの国にとっての良いシステムが、日本にとって良いものとは言えないですし、逆もまた然りです。
日本が長年培ってきた先人たちの知恵の詰まったシステムを捨て去ることが国際化とは言えないと思います。

本当の国際人、国際化とは、
1.自分の国をよく知り、

2.他の国との違いを認識し、
3.自分の国にとってよいところを取り入れ、改善し、
4.ほかの国との違いを受け入れ認め合うことであって、
ほかの国のシステムと一緒にすること、つまり安易に融合することではないとわたしは思います。

そして、そのためには、お互いの文化やみえないしきたり、歴史、そして先ほど書いた、
「文化の違いによる言葉の使い方」をよく知っていることがとても大切になっています。
「文化の違いによる言葉の使い方」をしっていないと、
語学ができても「勘違いを生むきっかけ」になります。

だからこそ、
現地で生活して、生の体験をしている私たちの子供たちは、ミニ大使になって日本との懸け橋になる可能性をたくさん秘めていると思うのです。

そして、現地の文化や習慣を知り尽くした子供たちに、今度は日本の文化、歴史、文化をきちんと知ってもらって
次の世代に引き継ぐことのできるような本物の国際人として羽ばたいていくような人間になっていってもらいたいと思っています。

まとめの挨拶

あまりにも大きい私の思いを長々と最後まで読んでくださりまして、ありがとうございました。
若いころから、「人は何のために生きるのだろう?」と考え続けてきた答えが、やっと見つかったと思っています。

身近なところでは、
「子供を一人前に育てること」
そして、こちらのLearn Japanでは…
世界中に住んでいる日本をバックグラウンドにもっているお子様たちに「真の国際人」になって日本との懸け橋になってもらうことです。

いろいろな企画も立ち上げていますし、また、こんなことやってほしいということがありましたら、遠慮なくご連絡くださいね。
それでは、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2019年4月28日 ホール典子

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