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第11回教室、遣隋使の国書ー中華冊封体制からの自立

Japan

こんにちは。

この間、今年最後の授業が終わりました。

そして、ロサンゼルス組は第10回まで、ヨーロッパ、アジア組は第11回までの授業を終えましたので、今日は、第11回授業(遣隋使の国書ー中華柵法体制からの自立)について書きたいと思います。

(画像出所)市販版 新しい歴史教科書 中学社会 自由社
ISBN 978-4-915237-83-6 P.54 より

 

この間の授業から2週続けて、聖徳太子について学んできました。

この日は第3週目だったのですが、まず最初にこの有名な文を読み上げました。。大人の皆さま、、、おぼえていますかーーーー??????

推古天皇が隋の煬帝に送った手紙(聖徳太子が書いた。)ですよ!!

 

さあ、皆さま、これを大きな声で3回よんでみましょう。そして、覚えちゃて下さいね。はい。

 

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この最後の、「つつがなきやーー」というところの語呂あいがいいな。。とおもいます。この「つつがなきやーー」というのは、「健やかに、元気でいらっしゃいますか?」という意味です。

 

さて、聖徳太子が、小野妹子にこの手紙を持たせて隋の煬帝に渡してもらったところ、隋の煬帝は怒りまくります。。、、どの部分が気に食わなかったのでしょうか??

 

色々な意見がでましたよ。

一番多かったのは、「日出ずるところ」と、「日没するところ」で、「没する」という表現がなんだか沈んでいくような、縁起の悪い表現だから、、というものが多かったですね。

 

ところが、「日出ずるところ」というのは、東から太陽さんがのぼるので東という意味で、「日没するところ」というのは、太陽が西におちるということで、「西」という意味で中国の昔の文書でよく使われている表現ということなので、これで怒るわけはないのです。

 

さあ、もっと考えてくださいーーー。

 

第1回から第10回まで習ってきて、いままで、中国は大国として大えばりでしたよね。冊封体制のなかで近辺諸国は、中国まで行って朝貢外交していました。日本も同じでしたね。おぼえていますかーーーーーーーーー???卑弥呼の時代も倭王武の時代もそうでした。。悔しいけど、まだ国が一つにまとまっていなかったので、しょうがなかったのですね。。海で隔たれていただけ、日本はラッキーでした。

 

そうですよ、、この文書のなかには、すごいことが書いてあるのです。。

 

「天子」

 

という言葉が2つも出てくるのです。そうなんです。聖徳太子は、日本の天皇陛下のことも「天子」と呼び、煬帝のことも「天子」と書いたのですよ。。これはどういうことかは、すぐにわかりますね。。

 

対等の関係だという表現をつかったのです。」

 

煬帝は、めちゃくちゃ怒ったそうです。ううーぷるぷるぷる。。怖そう。(下の写真はそうでもないけど)

 

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でも、遣隋使の、小野妹子は、煬帝の怒りに全く動じなかったそうです。

 

「怒りっぽい人は、怒りたいだけ怒らせておけばいい、途中で口をはさんではいけない。やがて落ち着くはずだ。」

 

と。。(小野妹子っておんなの人のような名前で、殺されなくてラッキーだと思っていましたが、堂々とした態度だったそうで、その場にいた隋の役人は大変感心したといいます。余談ですが、「おののいもこ」というなまえ」の真ん中の「の」という字が入る名前は、天皇陛下から頂いた名前ということになるそうです。)

 

こういう態度は、現代の私たちの日常の場面でも使えますね。

 

 

さてさてさてーーここで斎藤先生からの質問がでました!!

 

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これはですねー

賛成の意見の方が多かったんです。やっぱり、今まで習ってきた経緯からみて朝貢外交で悔しい思いをしてきましたからね。

賛成の意見

1.いずれは独立しなくてはならないならば、早い方がいい。

2.仲良くしたいけど、隋がボスなのはいやだ。対等な関係がいい。

3.隋もいつかは大国ではなくなる時が来るので、自立していたほうがいい。

4.隋に日本の文化を飲み込まれたくない。

5.隋という国とは相いれない。

 

などなどでした。

 

反対の意見

1.まだ隋からはまなぶことがいっぱいある。

2.すぐに独立するのはあぶない。まず力をつける。

そして!!!

隋の家来と油断させていつか隋を倒して日本がトップになる。

 

という意見がでました。。。。

😆 😆  😆

すごい!!これだから、ライブ授業は楽しいのです。

 

なるほど、、、それもそうですね。。隋に対等ということを示すということは、ある意味大変危険なことをしているわけです。それで、自分たちの力が付くまで待つ。。というだけではなく、そのあとも見据えて、「日本が隋を倒して支配するのだ!!」というところまで考えたのが、7つの海を支配したイギリス在住の少年の意見でした。

 

そういえば、、前回のブログで、私の息子がした聖徳太子の十七条憲法の解釈のことを書きましたが、イギリスにすんでいると、みんなこうなるのでしょうか???? 🙄 攻撃は最大の防御ということはよくいいますし、二枚舌外交のイギリスのこういう面はイギリスに住む子供たちも小さいうちから身に着けているのかもしれません。

 

わたしが、この歴史教室を開いて、海外に住む日本人の子供たちに日本の歴史をまなんでほしい!!とおもったのは、「日本人の考え方」を知ってほしかったからなのです。そうすれば、海外で誤解されている日本人の気質をうまく代弁してくれるんじゃないかなあとおもったのです。(もちろん、それだけじゃないですが)そして、日本にいる日本人の子供たちにこのライブ歴史教室で海外に住んでいる日本人の子供たちと学んでほしかったのは、日本にいたら聞けないような意見が聞けるので、「外国人」の考え方が学べるのではないかなとおもうからです。そうすれば、これから彼らが大きくなって外国人と交渉するときなど、諸外国の人たちの考え方が理解しやすくなるのではないかなと思ったのです。

 

そういった意味で、今回の授業はとても楽しいものになりました。

 

さて、、

 

聖徳太子は、対等の国である、、という国書を送りましたが、ただただ「対等じゃないと悔しいから」という理由で送ったのではありませんでした。

 

当時、隋は隣の国、高句麗と戦争中で、何回侵略しようとしてもうまくいかずに、てこずっていたのです。それを聖徳太子は遣隋使からの情報で知っていて、このような文書を送ったのです。さすがです。そして、国書を出した翌年に、もう一度同じ内容の国書を出します。

 

「東の天皇、つつしみて、西の皇帝にもうす。」

 

「天皇」と、「皇帝」。。。同じですね。当時、「皇」という字は中国の皇帝しか使えない字でした。だから、中国は、「王」という字を使わせていたのですが、聖徳太子は、「天皇」(北極星という意味があり世界の中心という意味になる)という字を使ってまたもや国書を出したのです。もう、イケイケゴーゴーですね。

 

 

このあと、煬帝が怒ったかどうかは、記録がありません。でも、このあとから日本は、国書に「天皇」という字を使うようになりました。

怒ったかどうかは別としても、そのあとずっと遣隋使、遣唐使と受け入れていたということは腹の中でどうであれ、仲良く交流していたということがわかります。

 

聖徳太子の国つくりの大方針3.

「隋のような大国とも、対等に付き合う独立国」

 

 

これで、今年最後の歴史授業が終わりました。皆さまいかがでしたでしょうか??

アンケートを取らせていただきましたので、(ご協力をどうもありがとうございました。)次回のブログで紹介させていただきます!!!

 

そして、、

 

日曜日の朝9時から(イギリス)、10時から(ヨーロッパ)、夜6時から(日本)。

火曜日の夜7時から(ロサンゼルス)。

水曜日の夜7時から(アジア、日本)。

 

⇧の授業に、毎週ご出席を生徒の皆様、生徒さまのご家族の皆様どうもありがとうございました!!

そして、斎藤先生!!毎回、色とりどりの資料を作り、熱く、命のある授業を本当にどうもありがとうございました!!先生の授業は本当に楽しいです!!!!!!

 

 

来年は、1月10日火曜日のロサンゼルスから始まります。

ヨーロッパクラスは、1月15日(日曜日)-

アジア、日本クラスは、1月18日(水曜日)-です。

 

至らないところもございましたが、また来年も皆さまどうぞよろしくお願いいたします!!!!

 

 

 

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